地元紹介

当社は、福岡県北九州市の若松区に本社工場があります。そこで、簡単ではございますが、地元若松の紹介をさせて頂きます。

 その昔、若い松を植えたことが地名の由来と伝えられる若松。
今もなお豊かな自然をたたえ、町と調和して美しい風景を見せ
ています。

若松の発展は、藩制期の1758年に遠賀川の支流となる堀川 が完
成し、遠賀川から堀川を経由して物資や旅人が洞海湾の 入 口に
到達できるようになったことに始まります。さらに明治に 入って
からの港湾の整備、鉄道の開通などにより、若松港が筑 豊の石炭
を扱う日本一の石炭集積港となったことで最盛期を迎 えました。
しかし、昭和30年代になると、石炭から石油への エネルギー 革
命などによって、経済力は急激に激減しました。その後は響灘埋
立地への工場誘致、あるいは久岐の浜ニュータ ウン開発などによ
り、今若松は新し い町へと生まれ変わろうと しています。


若松は、北九州市の北西端に位置する若松半島の大部分を占め、
東は戸畑、南は八幡東・西区、西は遠賀郡水巻・芦屋町に接し、北
は響灘に面しています。人口は約9万人を数え、面積は65k㎡。
明治24年に若松村から若松町となり、大正3年には若松市へ、さら
に昭和38年の 北九州5市合併によって現在の北九州市若松区が誕
生しました。西部の島郷地区は白菜、キャベツ、トマト、すいかな
ど県内でも有数の野菜産地。北海岸は、美しい海岸線が続き、マリ
ンスポーツのメッカでもあります。また、高須・青葉台地区は市内
でも屈指の住宅団地となっています。


若松を代表する若戸大橋は、洞海湾をまたぐ鮮やかな深紅の大吊り
橋で、全長2,068m(吊り橋部680m)、中央径間367m、桁下42m、
塔の長さ80mからなり、工期3年6ヶ月、100万人の労力と51億円を
かけ、若松と戸畑を結ぶ夢の架け橋として昭和37年9月に開通しまし
た。その後の関門橋、本四架橋など日本の長大橋の先駆けとなった貴
重な存在です。